パレオアジア文化史学

文部科学省 科学研究費補助金
新学術領域研究(研究領域提案型)
平成28年度~32年度

領域概要

本領域の目的

約20万年前頃のアフリカ大陸で誕生したホモ・サピエンス(新人)は、10~5万年前頃以降、ユーラシア各地へと拡散し、先住者たる旧人たちと「交替」した。日本列島人の直接の由来とも関わるこの人類史的事件の原因や経緯の研究は、人類学・考古学諸分野において最も注目されるテーマの一つであり続けているところである。
本研究は、絶滅人類が生息していた頃のアジア(略称パレオアジア)における「交替劇」を文化史的観点から解析し、そのありかたの地理的変異や特質を実証的、理論的に論じる。もって、生物学、ヨーロッパ中心の研究動向に新知見を提示し、より総合的な人類史理解に寄与するものである。
特に注目するのは、アジアにおける多様な環境への文化適応はもちろん、「交替劇」進展の速度や先住集団との接触、交流の程度などに多様なパタンがあった可能性である。研究蓄積が豊富なヨーロッパでは、アフリカからの拡散起点となった西アジア起源の文化が拡がったことが判明しつつあるが、広大なアジア大陸の事情は複雑だったようである。新人拡散期にあっても、なお旧来の文化が継続したように見える例が中央アジア以東各地、特に、中国南部や東南アジアなどで繰り返し指摘されている。これらをもって、多地域進化説を再主張する研究者もいるほどである。
新たなヒト集団が拡散したはずなのに、なぜ、文化が変化しない(ように見える)地域があるのか。このパラドックスは、ヨーロッパ、また生物学に重きをおいている新人拡散研究においては説明されていない。ヒトと文化の交替劇が示す多様性をアジア各地における現地調査の組織的実施と広域的比較研究をとおして解き明かし、その意味を論じる。

本領域の背景

新人の出現については長らく世界各地の旧人から進化したとする多地域進化説が唱えられてきたが、1980年代末以降、遺伝学の急速な進展とともにアフリカ起源説が主張されはじめ、今日ではほぼ決着した状況にある(図左)。現在有力なのは、アフリカ起源の新人が各地に拡散し、その際、いくつかの地域では在地の旧人と交雑しながら置き換わっていったとする同化・吸収説である。
従来、こうしたヒトの生物学的系統は文化系統に直結し、新人には新人固有の、旧人(ネアンデルタール人やデニソワ人ら)には旧人固有の行動様式や文化が普遍的にあると考えられていた。しかし近年、「新人的行動」(例えば、細石刃などの石器、食料の多様化、装飾品など)の一部が旧人に伴う事例や、逆に新人に伴わない事例が明らかになったため、生物学的系統とは別個に文化の動態を調べる必要が生じてきた。
ヒトと文化の交替劇を別に考えるとすれば、新人の文化が旧人文化と置き換わったこと(交替)もあったかもしれないが、それだけとは限らない。遺伝的寄与は小さくても、文化の点では旧人の寄与が大きい地域もあったのではないか(交流)。あるいは、旧人文化がそのまま新人に受け継がれたことはないのか(連続)。つまり、文化的には生物学三仮説の全てに対応する状況が同時発生していたことがありうる(図右)。アフリカから遠く、かつ広大で自然環境も多様なアジアにおいて、そうした可能性を実証的、理論的に検証しようとするのが本領域研究である。

本領域の内容

本研究領域の目標を達成するため、物的証拠に基づいてアジアにおける新人の拡散と文化形成過程の具体像を復元する研究項目Aと、人類集団の拡散や定着にともなって生じる文化変化に関する理論を構築する研究項目Bを設ける。これをもって、物証・理論の両面からアジアにおける新人文化の形成過程の実態と背景を明らかにする。各研究項目、その中に設ける5つの計画研究の概要は次のとおりである。

研究項目A:アジアにおける新人文化形成過程の実証的解析

計画研究A01 アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組み構築
旧人や新人がアジア各地に残した遺跡と化石人骨の位置・年代を詳細に定め、新人が拡散したルート、時期に関する地理的編年的枠組みを構築する。それにもとづき、生物学的な新人の定着と新人文化定着との一致・不一致ならびにその地理的変異を明らかにする。
計画研究A02 ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明
旧人や新人がアジア各地に残した物的証拠を行動という点から多面的に解析し、新人定着期における適応行動の具体的内容および多様性を同定する。それに基づき、新人が旧人居住地へ拡散・定着していく過程で採用した地域的な行動様式およびその変遷パタンを明らかにする。
計画研究A03 アジアにおけるホモ・サピエンス定着期の気候変動と居住環境の解明
新人がアジアに拡散し定着した当時の地球規模および地域的な環境学的証拠を多面的に解析し、各地の居住環境の変遷を同定する。それにもとづき、各地で多様な定着プロセスが生じた環境的背景を明らかにする。

研究項目B:アジアにおける新人文化形成過程の理論的解析

計画研究B01 人類集団の拡散と定着にともなう文化・行動変化の文化人類学的モデル構築
人類集団の拡散や定着、他集団との接触にかかわる文化人類学的所見を多面的に分析し、文化変化の具体像およびその多様性を明らかにする。それにもとづき、新人定着期に生じた文化変化の解釈としてあり得たパタンを実例とともに提示する。
計画研究B02 人類集団の拡散と定着にともなう文化・行動変化の現象数理学的モデル構築
人類集団の拡散や定着、他集団との接触によって文化や行動に生じうる現象数理学的所見を多面的に分析し、文化変化に与えた鍵要因およびその多様性を明らかにする。それにもとづき、新人定着期に生じた文化変化の解釈としてあり得た論理的パタンを提示する。

期待される成果と意義

新人のユーラシア拡散、定着に関する研究はヨーロッパや西アジアを中心に成果が重ねられてきたが、近年、より東においても急速に新知見が蓄積されつつあり、それらを加えた総合的理解が求められている。本研究では、進展著しいアジアの新知見を集成・評価するとともに、アジア各地で領域独自の野外調査を組織的に実施し、現時点での到達点が提示しうる。
本研究のもう一つの特徴は、「交替劇」を、生得的能力が優れた新人が劣った旧人と交替した事件と説明して終えるのではなく、それを歴史的プロセスの一部としてとらえ各地の交替劇の具体像を明らかにする点にある。従来の旧人・新人交替劇の研究は、両集団のどのような能力の違いが交替につながったのかという生物学的原因を追求するものが大半であった。領域代表者等が関わってきた新学術領域『交替劇2010-2014』も同様である。生物学的に異なるとされる集団間でどのような文化的接触、文化的交替が生じたのか。旧人・新人「交替劇」は現代諸集団間においても繰り返し起こった拡散、融合、消滅とは、どう違っていたのだろうか。また、なぜアジアにおいて、より多様な交替劇が想定されるのだろうか。実地調査のデータにもとづいた実証的・理論的な考察は、ヒトの種、ひいては我々現生人類についての理解を飛躍的に高めると考える。